そんなことを思い出していると、もう一度単純に図書館の仕事をしてみたい、という気持ちがわいてきた。NCR(日本目録規則)やNDC(日本十進分類法)が変わると、勤務が終わったあとに新旧の対照表を作ってみたり、興味をひかれた本が購入されると主題を把握するという口実で読んだりしたこと、OCLC(現在のOnline Computer Library Center。当時はOhio College Library Center)に関する英文図書を他館の人達数人と一緒に読んだことなどが思い出され、古い図書館の窓から差し込んでくる日差しまで思い出した。
そして、図書館から異動して、戻ることなく亡くなった友人のことが心に浮かんだ。彼女の本当の気持ちは僕にはわからないに違いないが、つらかった自分を投影し、彼女が亡くなったとき、言葉に言えない哀しみを感じたことも久しぶりに思い出した。彼女がもどってしたかった仕事もそんな、単純な図書館の仕事だったろうな、と思った。
昔のことをとつおいつ思い出していたとき、県立図書館のホームページに掲載されたアルバイトの募集広告が目にはいった。
土日を含んだ週三日、週二日、週一日と三種類の勤務パターンがあった。年齢制限は書いていないが、一般、大学院生、学生とあるので、若い人が主な対象であろうと予測できた。ハローワークで相談した時の少ない経験からでも、年齢制限が書いてなくても、それは表向きで、七十歳というのは、特殊な仕事以外ほぼ対象外であることは実感していた。
それに元図書館員というのは図書館(の管理者)にとって使いやすい存在でないことは十分に予想できた。自分に置き換えてみたらすぐわかる。また自分自身かっては後輩に指図されるのは嫌な方だった。アルバイトで働くとするとずいぶん若い人から指示されることになる。
災難に遭遇し、短い期間でも異種の職場で過ごすという経験がなければ応募する気にならなかったと思う。
しかし、二つの経験が、職場の職階は年齢や経験に関係ないこと、自分の行動(特に被災後、自分達の人生を取り戻すための行動)は、それぞれの状況によって異なり、十把一絡げにとらえがちな他人には理解できないものであること、を教えてくれていた。正岡子規の言葉は、他者の思惑ではなく、自分のなかの必然で行動することが重要であることを示していた。もちろん、そのことは善悪ではなく、立場が変われば自分も同じ傍観者である。
とにかく、ここは応募すべきである、と思った。