散策日 平成28年10月23日(日)、同12月~平成29年1月中。
平成28年10月23日は、牛窓秋祭り。
街道歩きで10月31日に牛窓に到達したあと、平成29年2月にかけて、調査と称して何度か細切れに訪れた。個々の日付は煩雑なので略す。
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当日、車で牛窓まで出かけた。警備員の誘導に従い、牛窓港の近くに設けられた臨時駐車場に車を置いて歩き始めた。
もらったチラシ以上の資料を持ってなかったが、警備員に午前中に各神社で奉納の行事があること、昼から港のコンビニ(ファミリーマート牛窓店)の駐車場にだんじりが集まってくることなどを教えてもらった。
事前に準備せずに行ったわりには、運良くいろんなものを見ることができた。後で牛窓町史民俗編を読んで、なるほど、と思うことが多かったので、太刀踊り、唐子踊りなど奉納行事に関しては、同書p903-921から引用する。枠の中の記述が引用であるが、管理人が体験した順番に記述しているので、配列及び項目題(枠外に記述)は一部変更している。
なおふりがなは( )でうしろに記し、改行などを一部変更したところがある。写真は枠の中のものも管理人の撮影である。
記憶とほぼ重なるが、同書が刊行された平成6年から変わっている部分の確認はできていない。
拝殿内の絵馬。境内にあった地神塔は標準的な五神。
はじめは、ならし(いまは、はやしともいう)といって楽器の囃子だけが行われる。
踊っている写真は、拝殿前のもの。一時、離れていたので、拝殿内でも踊ったかどうかは確認していない。
牛窓にはもう一か所『粟利郷の太刀踊り』がある。いずれこちらも拝観したい。
異国風の鮮やかな色彩の衣装を着けた二人の男児が、若者の肩車に乗って参拝し、囃子方のカンコ(小太鼓)・横笛と、意味のわからない歌に合わせて踊るもので、衣装も歌も踊りの動作も、ほとんど類をみない独特のものである。
御霊宮から、素蓋鳴神社(疫神社)へ回る。急な石段には額(紙燈籠)が取り付けられている。踊り場横にあった地神塔は標準的な五神。
この日、拝殿には白、本殿には紫の幕がかけられていた。境内にある常夜燈のひとつは享和元年(1801)と刻んであった。
素蓋鳴神社(疫神社)の境内は、きれいに飾り付けられていたが関係者はいない。見学者もほとんどいず、大きなカメラを持った十数人のカメラマニアが場所取りでいるだけだった。お互い知り合いのようで、会話も弾んでいるようだったが、管理人には知り合いもなく町を散策することにした。
歩いていたら肩車された踊り子に会った。ついて行くと、もう一人の踊り子と合流。
前の広場では、だんじりの準備。紺浦の飛龍丸。左写真はうしろから。鳳凰か。右写真が正面から。龍である。背後の建物が紺浦倶楽部。
テレビ局の取材に応える保存会の方の声が聞こえた。少子化で旧来のような踊り子選びができなくなっているようだ。上記民俗編の記述とも附合する。
「自分達の代で絶やすわけにいかない」という言葉は重い。伝統行事の多くがさらされている問題だ。
この日一番の唐子踊りは紺浦倶楽部で行われた。陣笠をかぶった男児は、交替した先輩のようである。
囃子方は紺浦の若連中が主体で、かっては三〇人くらいいたが、いまは保存会が結成され一五人程度のメンバーでカンコ(小太鼓)一人、横笛二~三人、その他の者は唄をうたう。
牛窓風土物語p19からの補足
この歌を「ヒウハ」と称する。言語は、朝鮮語、支那語、馬来語の何れにも属さない。
このあと、地元の人に聞いたり資料で見た範囲では、天神社、紺浦の薬師堂、高祖酒造横の塩釜神社など何カ所かで奉納するようだが、直接見ていない。
囃子言葉の意味は地元の人でも分からないようだ。由来についても、神功皇后が見たというのはともかくとして、朝鮮通信使が伝えた、中国から伝わった、長崎の唐人踊りを参考に地元で創作したなどと諸説あるようだ。
牛窓町史通史編p607-608では、疫神社が元来牛頭天王を祀ったこと、牛頭天王は朝鮮半島を経由して日本に渡来した疫神であるとする。「この神を慰撫し、霊異を増すために、異国風の踊りを奉納することが理にかなったものだ」と記す。
また我々が牛窓往来を歩いたときに拝礼した紺浦の薬師堂への奉納を、「虫送りなどと同じように、地区から境界外へ災疫を放逐することを意味していたのではないだろうか。」と推測する。
また、江戸時代岡山城下町の東照宮祭礼の神輿渡御行列の時の町方練物のなかに「唐人踊り」があったこと、神田明神及び山王神社の祭礼をはじめ各地で「唐人行列」や「唐船」が出し物のひとつであったことなど江戸時代の日本で唐(朝鮮と混用することが多い)文化への関心が深かったことを示す。
洋風の店でランチ(オムレツだった)を食べて、港近くのファミリーマートへ行った。だんじりに関する上記のことは、あとで知ったので、そのときは面白い、面白いと見て回り、綾浦のだんじりの舌に触ってみたりしていた。
適当に撮った写真を並べる。
左の子は泣いた。右の子は舌を引っ張り出した。
とりあえず3台。
左写真:唐子踊りの先輩。肩車しているのは父親。誇らしげだ。
右写真:御船だんじりの正面が撮りたいのだが・・・
左は中浦のだんじり(だと思う)。
右は後ろからなのでよく分らない。
牛窓神社の八角のみこしが来る。
ひとしきり練って町を巡る。繰り出すというより御神行である。神主さんもおられる。途中で幾人もの住民にお祓いをする。
御霊神社の前で、神輿は止まる。御旅所と考えて良いのかな。
牛窓神社の神主さん(推測)祝詞を上げられる。
そのうち紺浦のだんじり飛龍丸が来る。えびすの面をかぶった人が、太鼓を叩いて先導する。
何カ所かで踊りを奉納した唐子踊りの踊り子も肩車で到着。
集合して、またそれぞれに町内を巡行する。管理人は、15時30分までは見ていたが、そうやって夜まで続くという。
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