ポストに投函したのは、平成三十一年一月十一日だった。
その後、この件についてあまり考えなかった。忙しかったからだ。
中断していた神戸事件の調査や読み聞かせ活動、古文書整理の手伝いを再開した。
神戸事件は政治的な色彩があり、加筆訂正された資料がある。清書版では、そのことに気づかないことが多い(最初僕も気づかなかった)。
政治性を排して、できるだけ事実を把握しようとするならば、資料の前後関係を整理しないといけない。資料の相関表を作ろうとしたら、これがややこしいこと。頭がこんがらかって、わけがわからなくなる。こんな頭で図書館の仕事をできるかな、と心配になったが続いていた寝不足のせいにした。
さらに、通常読んでいるマイクロフィルムからのハードコピーでは加筆の朱書きの判別ができないので、所蔵館である岡山大学附属図書館に行って写真を撮った。もちろん、事前に許可をもらうための手続きがある。
それに、なんでもやってみよう、と思って読み聞かせボランティアに応募したら、近くの小学校二校からお声がかかった。来年度からメンバーに加えてもらえそうである。その打ち合わせと見学が入った。そのあいだに、古文書整理の手伝い。これは岡山藩士だった人の家の文書のカードを作る仕事。比較的新しい時期のものが担当だが、読めない文字は先輩や師匠に尋ねまわる。
二月七日に岡山市北公民館で、所属する昔話の会の主催で、日本民話の会会長立石さんを迎えて『冬の語りの会』を実施することが前から決まっていた。準備できる者が都合で僕一人になり、チラシを作り、パンフレットを作り、湯茶や設営の打ち合わせを行った。当日は福岡県の冷水峠に伝わる『首無し地蔵』の話をした。
これらの作業をばたばたとしながら、時々ポストを覗いた。メールチェックも頻繁にやった。心の底では気になっていたのだろう。期限日になっても面接の通知は来なかった。やっぱり面接まで届かなかった。