つぎにすすむ故瀧政信殉国事歴 口語訳 1まえにもどる

故瀧政信殉国事歴の1ページめ

御手留日記
辰二月七日晴
 
本日早朝、備前藩家来が名前を届け出た。
日置帯刀家来、馬廻新知百石
瀧 善三郎
三十二才
 右の者は、先月十一日、神戸でフランス人を刺したところ、逃去ったので、銃隊に指示して、浜辺に居た異人を銃撃させたとのことである。
 元来、物頭ではないが、志がある者なので、新たに百石を遣わしたようである。
右の者は、西宮から刀を帯びずに、差出す。警備もできれば備前藩が行って出したく、介酌も同藩に仰せ付けられればありがたく、死体もお渡し

このページの原文と解読文を読む


注記と補足  

 横線のある各項目をクリックすると、注のリンクにとびます。以下口語文のページでは同じです。
【人物】
日置帯刀
【事物と地名】
馬廻

【補足】
(一)『元来、物頭ではないが、志がある者』という記述について物頭は、弓組、鉄砲組、足軽頭、同心頭などの長とされる。岡山藩では番頭に次ぐ格式で、家臣団のなかでは上位に該当する。同時に責任者の意味もある。この場合、伊達宗城は特定の職名ではなく、武士集団のなかでの階級あるいは格を指したのではないか、と推測している。
【参考資料】
  • 国語大辞典、尚学図書編、小学館発行、昭和五十六年刊
  • 岡山藩[日本歴史叢書]、谷口澄夫著、平成七年刊。ページ六五から六六。

つぎにすすむ故瀧政信殉国事歴 口語訳 1まえにもどる