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歩行日 平成27年12月18日(金) 9時40分--12時30分 福林湖から旧野崎邸まで 距離 約 5.1キロ(千阿弥橋跡から累計 30.5キロ)
とても寒い朝だった。児島駅前の児島民話通りの石碑の民話をひとつひとつ読む。
舟幽霊のように有名なもの、異種の恋物語など類型のあるものなどもあるが、金の竜と青い竜のようにこの土地に由来するものが興味深かった。
下電バスで、前回の終了地点(福林湖。バス停としては、福南山)まで行く。県道21号線の西側がバス停なので東(福林湖)側に渡る。
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東側の児島縫製センター入口バス停の東の草の中、木の下に題目碑がある。野田辺りから早島辺りまで題目碑はよく見たが、この辺になると珍しい気がした。![]() そこから少し南にいくと馬供養塔がある。立像の仏(地蔵尊?)の右に「八田村稗田 大正十年 □□(十月?)」左に「御前□飼馬」と刻んである。素朴な優しい石仏である。 ![]() |
その先、四車線の道路西側(高速道路側)の小さい池の端に、お地蔵さんがある。車の切れ目を見て渡って見たが、由来は分からなかった。このお地蔵さんも癒やし系のお姿だ。
茶屋住宅口信号交差点を過ぎて、50メートルほど南に左に上る小道がある。これが下津井往来である。
緩い登りを過ぎると旭タンパク食品の工場がある。スーパーで見慣れた豆腐屋さんだ。その先に地蔵尊がある。
その先下りになって、元の県道21号線に合流する。目の前は大池である。
合流してしばらく行くと、四車線の道路をまたぐ稗田茶屋歩道橋が目に入る。その手前西側(大池の南端)に石碑がある。見に行くと「稗田正面神社碑文」と書いてある。横に解説碑があり、それによると正面神社は西北の正面山の山頂に祀られている由。この碑文は、道路拡幅により移転したそうだ。正面神社 神社紹介、岡山県神社庁、岡山県の神社。(サイト確認:平成28年5月22日)。
稗田茶屋歩道橋を越えて100メートルほどで往来は左、稗田八幡宮方面に分岐する。右写真は歩道橋の上から。正面が稗田八幡宮への道。再歩きした五月の写真。西日本がいちばんきれいな季節。
道なりにまっすぐ歩く。分岐から300メートルほどで稗田八幡宮の常夜燈が見えてくる。その先には稗田の道標。
左手の森にはウバメガシやヤマモモの巨木があり、常緑広葉樹の濃い緑で覆われ、岡山県指定の自然環境保全地域である。(稗田八幡宮地域、岡山県のホームページ、おかやまの自然公園、自然環境保全地域など:サイト確認平成28年5月23日)
神社の森(鎮守の森)を周り込むと鳥居。両側に常夜燈。
階段を上って稗田八幡宮に参拝する。
正面神社の遙拝所と金比羅宮の遙拝所があった。
鳥居の前をまっすぐ降りると、そのまままっすぐ行く道と左に進む道がある。分岐の真ん中に「右下津井 左下村湊」と刻んだ道標がある。稗田の道標である。
下村は下津井と同じく児島郡の湊である。吉備温故秘録 巻之十(群書集成七p202)では「海辺、平場。舟着悪し。舟掛りよし。」とある。「どちらも金比羅宮への渡航の港であるが、本来の金比羅往来は右手の道をたどることになる。」(調査報告6p15)
交差点を渡って、やや細い道を200メートルほど進むと、左手に分岐する道に四角の遍路道標がある。なぜだか、黒い塗料がかけられている。進行方向に面して「當郡□□ 福□□」と読める(福は推測)。反対側に「廿三番 右指矢印 大師□□」と読める。高さが低いのは、下が埋まっているからだろう。また、大師□□は左手(東側)山上に見える児島八十八ヶ所第23番札所 稗田大師寺(児島八十八ヶ所巡礼。サイト確認平成28年5月23日)を指す。
2回目に一人で歩いたときは、道標に従って稗田大師寺に参拝した。山の上に見えるお寺を目ざして適当に歩くと10分足らずで山門の下に着いた。上っていくと山門であり、鐘楼でもあった。手が届くところまで紐が下りていた。
参道の階段の途中に石柱があり、「尋ね来し稗田大師寺今ここに鐘の響きのいと有難し」と刻んであった。これもご詠歌?何となく響きが良いので書き留めた。他にも何本かあったがみな歌が異なった。
さらに上ると、本堂。右写真の右に赤いものが並んで見えるのはお地蔵さんの前掛け。たくさんのお地蔵さんが並んでいた。
他にも「奉唱光明真言百万遍」と刻んだ石柱や宝篋印塔、「神農初代西崎之碑」とか忠魂碑もあった。
稗田大師寺の道標のあった分岐から170メートルほど直進すれば帆千谷信号で片道一車線のバス通りに斜めに合流する。
南へ進む。左側に新見脳神経外科があり、その先東急ストアがある。合流点から440メートルほど進んだところ、ファミリーマートの向いに右に分岐する道がある。
小学校の校地の南端から50メートルほど進んだところに田の中に右手に別れる小道がある。
その分岐点に「第廿四番霊場本願所 右遍んろみち」と書いた遍路道標がある。県道に向いた面には、「左下津井」と刻んである。字に白い塗料が塗ってあるのは読みやすくするための配慮だろう。第二十四番霊場は吉塔寺である。(吉塔寺 児島八十八ヶ所霊場、岡山朝日高校S51年卒同期会のホームページ。サイト確認:平成28年5月24日)
遍路道との分岐近くの田の畦に吉塔寺への小さな丁石がある。左指矢印の下に「十丁」と書いてある。
下津井への道は県道であるが、二度目に歩いたとき、遍路道標の指示に従って歩いてみた。十丁は約1.1キロなので、それほどの距離ではない。
それでも指示に従って草地の中の細い道を進む。草地を通り過ぎるとやや広い道(県道268号)と交差して、そのまま直進。そのまま方角を頼りに進んでいくと吉塔寺に到達するはず。
管理人は、草地を通り過ぎたあと直進せずに右に折れたので、方向を外れ、周り込む形になって到着。それでも感覚的に1キロくらいか。
畑の中を通って行く道が本来の遍路道らしい。草が深くなっているので、今では別の道を通るということであった(右写真)。その入口へ行く途中にもいろいろな道標があった。
どれくらいの方が遍路道を歩かれるのですか、と尋ねればよかった。のんびりと元の道を歩き、分岐点に戻った。
県道268号線を南下する道が下津井往来である。
道の左側を小さな用水が流れる。両側の建物は工場の裏や倉庫などで、人通りも少ない。左手に黒い色の木造の長い倉庫のようなものがあった。
中山団地口の分岐から400メートルほど進むと、四つ辻右手に「酒呑地蔵尊」の赤い幟が見える。
地蔵尊は幟の反対側、左に曲がったところにある。左に数メートル進むと大師堂の前に高さ2.6メートルの地蔵尊が立つ。明治三十二年造立ということだ。由来は分からないが、今でもお接待があるそうだ。
(受験祈願はぜひ”酒呑地蔵”へ おかやま旅ネット:サイト確認平成28年5月24日)
大師堂には酒呑地蔵(向かって左)と弘法大師(同右)が鎮座されている。境内には他にもいろいろな石碑があった。
自然石の地神塔とショウ儀型の地神塔が並ぶ。他にも十一面観音像や「奉唱光明真言百万遍南無阿弥陀仏百万遍」と刻んだ石柱があった。横に阿弥陀堂があったが鍵がかかっていた。この地域の宗教施設を集めたのか。
酒呑地蔵尊を参拝して元の道に戻る。そのまま小さな用水沿いに進むと、100メートルほどで、左に細い道が分岐するT字路にぶつかるが、そのまま右に曲がり、その先で自転車専用道路と出会う。
その後140メートルほど並行して進むと、左に進む細い道がある。分岐の真ん中に忠魂碑がある。
その裏に三体の石仏が鎮座されている。お名前は分からないが、地名をとって仮に小川の地蔵尊とする。
有志四人で歩いたとき周辺をしらみつぶしに歩いた。また一人で再調査した時も、前後を歩きなおしてみた。
この区間、民家や諸施設ができて旧下津井往来はよく分からない。最終的に、前記瑜伽西参道の道標を基準に、新しくできた自転車専用道路などを除いて最短の経路を選んだ。基準とした道標が動いている可能性もあるが、何となく往来の雰囲気はある。
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①特に目印がない細い道。右手は畑、左手は民家の裏。舗装されているので歩きにくくはない。![]() 忠魂碑の分岐からは370メートルくらい進むと児島中学校へ向う片道一車線の広い道に出会う。この道を横切って正面の細い道を進む。 ![]() |
2~3分で、変形の三角交差点に出会う。右の道を進む。
すぐにやや広い道との交差点に出る。角に松家食堂がある。一筋向こうの道は自転車専用道路。松屋食堂の前を左折。
進むと、森本薬店がある(シャッターは閉まっていた)。
その後道なりに進む。四つ辻の向こう左手に石柱が二本立っているが、これは自動車よけだと思われる(最初これが道標かと思った。ここで曲がると慈氏庵とその斜め前の道標に出会わない)。
そのまま進む。松家食堂から210メートルほどで、正面右手にお堂が見える。児島八十八ヶ所霊場第二十五番札所 慈氏庵(弥陀庵)である。
(児島八十八か所巡礼 第25番 慈氏庵 児島八十八ヶ所巡礼、岡山朝日高校S51年卒同期会のホームページ。サイト確認:平成28年5月24日)
慈氏庵の前の道を右折れ。道標の指示から判断した。
ここから旧野崎邸までの道もはっきりしない(調査報告6p15)。途中でカーブする道を道なりに進む。両側は民家。そのまま、自転車専用道路を横断する。その先やや広い道に合流すると目の前にセブンイレブンがある。
小田川沿いに北にもどり新八千代橋で渡ると、野崎邸の駐車場があり、その先正面に広大な野崎邸がある。
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